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上高野 歴史年表


上高野に関わる歴史の概略
奈良時代以前
奈良時代以前  : 山背国愛宕郡出雲郷に属す。
   
飛鳥(593〜)・奈良時代(710〜)
飛鳥・奈良時代 : 山背国愛宕郡小野郷に属す。
677年 : 小野毛人677年と書かれた墓誌が江戸時代に崇道神社山内で発見された古墳の中で見つかる。
785年 : 早良親王死亡
   
平安時代(794〜1192)
794年 : 平安遷都
おかいらの森でつくられた瓦が平安京造営に活用されていた。
上高野付近は原野で京の狩場となっていたので鷹野と記されていた。
805年 : 最澄比叡山延暦寺開設
上高野を含め旧修学院学区は西坂本といわれた。
山城国愛宕郡高野村といわれるようになった。
855〜877年頃 : 崇道神社創祀
1121年 : 天台宗内の争いで延暦寺と園城寺の対立により一乗寺が焼かれる。
鎌倉時代(1192〜1333)
1192年 : 源頼朝が鎌倉に幕府を開く(鎌倉幕府)
   
南北朝時代(1333〜)
1333年 : 鎌倉幕府が滅びる
1336年 : 楠正成、足利尊氏との戦いで八瀬から北白川あたりに陣をかまえる。
一乗寺下り松に「大楠公戦陣跡」の碑がある
1336年 : 雲母坂の水飲みを守っていた千穂忠顕(ちぐさただあき)軍が足利軍との戦いで全員死亡。
雲母坂に「千穂塚旧跡」の碑がある。
   
室町時代(1338〜)
1338年 : 足利尊氏が京都に幕府を開く(室町幕府)
1467〜77年 : 応仁の乱 義正の後継問題が原因
1490年 : この時代上高野の地は佐竹氏が守っていた。
この地の代官高野蓮養坊によって高野川の流路がふさがれ、八瀬庄と魚搦(ぎょじゃく)相論が起こる  
1542年 : 八瀬庄と高野郷との境論で両者の境に関する判決がだされた
1571年 : 信長の比叡山焼き討ち後、豪族佐竹蓮善坊が信長の政所として旧山門領支配の代官となる
   
安土・桃山時代(1573〜1603)
1573年 : 織田信長が室町幕府を滅ぼす
1590年 : 豊臣秀吉が天下を統一する
1600年 : 関ヶ原の戦い
1601年 : 以降江戸時代を通じ全村が禁裏御料地(天皇の領地)となった。
禁裏御料地については、京都に近いことと後水尾上皇の修学院離宮造営がからんでいる。
*判決により八瀬郷以外からの入山を禁じ、庄内の柴木伐採を八瀬童子のみの特権と認める。しかし、南部の野瀬地区と高野卿との係争があった。
江戸時代(1603〜1868)
1603年 : 徳川家康が江戸に幕府を開く(江戸幕府)
1631年 : 八瀬村奉行所へ訴える→八瀬村勝訴
1668年 : 八瀬村、高野村江戸へ。改めて八瀬郷の四至に境界杭を打ち絵図にも明記されて落着する
1677年 : 李ヶ井堰トンネル完成
*灌漑用水をめぐる松ヶ崎村や田中村との太田井堰争論があった
*その他高野村内で諸事件が多発
1729年 : 村高800石
1733年 : 高野村で大火があり12軒焼ける
1764年 : 宝が池、灌漑用溜池できる
明治・大正
1868年 : 明治維新
高野村、京都府の所轄となった
1876年(明 9): 村立高野尋常小学校開校
1881年(明14): 高野村に戸長役場が置かれた
1884年(明17): 修学院村、一乗寺村、高野村連合の戸長役場が修学院村に発足
1889年(明22): 市町村制実施に伴い旧愛宕郡修学院村、一乗寺村、高野村の合併により修学院村戸長役場が正式発足、京都府愛宕郡修学院村字高野となる。
学校は修学院村立高野尋常小学校が開校した
1900年(明33): 京都電灯がケーブル駅南側に高野発電所を営業開始。
1908年(明41): 松ヶ崎の今のアピカルインの所に修小と松小が合併して格知小学校ができ修学院校は廃校、一乗寺・高野校は格知小学校の分校となる。
1916年(大 5): 格知小学校廃止
一乗寺、高野校も統合して村立の修学院尋常小学校が開校
1917年(大 6): 高野村で大火があり17軒焼ける。
1925年(大14): 京福電鉄叡山本線・ケーブル線が開通、八瀬遊園開園

昭和(戦前)
1928年(昭 3): 京福電鉄鞍馬線・ロープウェイ開通
1931年(昭 6): 修学院村、京都市左京区に編入される。
高野村は京都市左京区上高野になる。
1935年(昭10): 梅雨の豪雨により高野川大洪水。
家屋、田畑、橋、山林に甚大な被害があった高野川の大改修が行われ現在のような形態になった。
1941年(昭16): 京都電灯がケーブル駅南側にある高野発電所を閉鎖。
1942年(昭17): 宝ヶ池公園竣工
1945年(昭20): 終戦

昭和(戦後)
1947年(昭22): 修学院中開校
1948年(昭23): 洛北高校開校
1949年(昭24): 宝ヶ池競輪開始
1954年(昭29): 修学院小分校開校
1958年(昭33): 比叡山ドライブウェイ開通、宝ヶ池競輪廃止
1959年(昭34): 修学院第二小学校開校
1960年(昭35): 新田街道・大原街道全面舗装
1963年(昭38): 宝ヶ池通、きつね坂トンネル開通。上高野市街化が急速にはじまる
1964年(昭39): 大原街道 三宅橋〜京福鞍馬線高架ガードまで高野川沿いに新ルート開通。
宝ヶ池子供の楽園、国際会議場オープン
1966年(昭41): 花園橋より北で白川通りより西、宝ヶ池通り南の区域で区画整理事業始まる 〜1980年(昭55)
1967年(昭42): 白川通り開通
1970年(昭45): 市バス岩倉操車場まで延びる
1972年(昭47): 音羽川流域水害
日本列島改造論出る。地価の高騰始まる
1973年(昭48): 第4次中東戦争による第1次石油ショック
1975年(昭50): 修学院小上高野分校開校
1976年(昭51): 上高野小開校 第一回卒業生輩出
1978年(昭53): 三宅橋に歩道橋が完成、宝ヶ池北園開園
1979年(昭54): イラン革命による第2次石油ショック
1980年(昭55): 北稜高校開校
1985年(昭60): エイ山電鉄設立
1986年(昭61): 急激に地価高騰始まる(バブル)
1987年(昭62): 上高野地区公共下水道供用開始

平成
1989年(平 元): 京阪電鉄鴨東線開業 三条〜出町柳2.3km
1990年(平 2): 地下鉄烏丸線 北大路〜北山延伸
1991年(平 3): 地価下落始める(バブル崩壊)
1993年(平 5): 国道367号三宅橋〜八瀬野瀬町境界付近まで歩道できる
1997年(平 9): 地下鉄烏丸線 北山〜国際会館延伸
2000年(平12): 地下鉄国際会館前バスターミナルオープン
2006年(平18): 上高野小に児童館オープン
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