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鎌倉時代(1192〜1333)○ |
| 1192年 : |
源頼朝が鎌倉に幕府を開く(鎌倉幕府) |
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南北朝時代(1333〜)○ |
| 1333年 : |
鎌倉幕府が滅びる |
| 1336年 : |
楠正成、足利尊氏との戦いで八瀬から北白川あたりに陣をかまえる。
一乗寺下り松に「大楠公戦陣跡」の碑がある |
| 1336年 : |
雲母坂の水飲みを守っていた千穂忠顕(ちぐさただあき)軍が足利軍との戦いで全員死亡。
雲母坂に「千穂塚旧跡」の碑がある。 |
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室町時代(1338〜) |
| 1338年 : |
足利尊氏が京都に幕府を開く(室町幕府) |
| 1467〜77年 : |
応仁の乱 義正の後継問題が原因 |
| 1490年 : |
この時代上高野の地は佐竹氏が守っていた。
この地の代官高野蓮養坊によって高野川の流路がふさがれ、八瀬庄と魚搦(ぎょじゃく)相論が起こる |
| 1542年 : |
八瀬庄と高野郷との境論で両者の境に関する判決がだされた |
| 1571年 : |
信長の比叡山焼き討ち後、豪族佐竹蓮善坊が信長の政所として旧山門領支配の代官となる |
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安土・桃山時代(1573〜1603)○ |
| 1573年 : |
織田信長が室町幕府を滅ぼす |
| 1590年 : |
豊臣秀吉が天下を統一する |
| 1600年 : |
関ヶ原の戦い |
| 1601年 : |
以降江戸時代を通じ全村が禁裏御料地(天皇の領地)となった。
禁裏御料地については、京都に近いことと後水尾上皇の修学院離宮造営がからんでいる。 |
| *判決により八瀬郷以外からの入山を禁じ、庄内の柴木伐採を八瀬童子のみの特権と認める。しかし、南部の野瀬地区と高野卿との係争があった。 |