自然の移ろい
<会誌

上高野の

「自然環境の移ろい」
                       
同史会 福本萬生

☆人工衛星の画像より
 米国の人工衛星ランドサットのデーターをパソコンで処理した画像(ランドサットは計7つの波長域で地上を撮影しているが、このうち可視光線と近赤外線の映像から森林の光合成能を計算したもの)の色調の変化をみると、京都市の東北部でも大気汚染などによって森林のストレスが大きいことがわかる。
 その画像を見ると上高野地域では、東部で農地が残っている部分から比叡山麓にかけては青色が多い。これは、市街地に近いことを示している。高野川を挟んだ北部の森林が比較的多いところでは、辛うじて黄色と赤色を示し活力が高いことがわかる。
 また花園橋付近から修学院・一乗寺にかけては灰色から一部白色であることがわかる。
これはその地域が完全な市街域であることを示しているわけで、修学院〜瓜生山にかけてと宝ケ池公園周囲がぼっかりと黄色〜赤色で縁取られ象徴的である。
 これらの画像色調変化は、種々の研究資料から予想された通りであるが、予想通りなのが今後懸念される所である。
 この画像こそマクロ(macro)的な環境の変化を示しているわけである。

☆マクロとミクロ
 ー方、私どもの身辺を注意深く観察すると、以前に比べると自然環壊に様々な変化が確実に起こってきていることに気がつく。これを時間軸にとらえた場合、それらの変化は一見ミクロ(micro)的で顕著な変化として促らえ難い事象が多い。
 しかし、このミクロ現象が歳月を重ねると、人の五感に感じとれるオーダーになって現れてくる様に思う。
 そのときになって、私どもははじめて事の重大性に気付くのである。
 20世紀後半は、正しく国際的にも自然環境問題についてターニングポイントを迎えたことを人類は悟ったのである。            (図1)
 私どもは、一人ひとりがこのことを謙虚に受け止めるべきなのであって、今や遅れ馳せながらも取り組む様になったグローバル的な自然の環境問題について、自己として出来る範囲のことを協力しなければならない時代が到来したことを自覚するべきであると思う。

 ☆失われつつある自然
 さて、ここで目を一昔前に転じてみよう。一一一一ちよっとした小川(農業用灌概水路)にはメダカやコブナの群れ、田のなかのタニシや足音に驚き土煙をあげて隠れるドジョウ、田植え後の水田でオタマジャクシを巡って繰り返えされるミズカマキリやゲンゴロウたちの採食競争、初夏の風物詩であったホタル、里山に見られたコナラやクリ・クヌギなどの樹林の豊かさ一そこに観察されたカブト虫やカミキリムシ、樹陰を飛翔するムラサキシジミの美しさ一、池底に静息するアカハラ、豊かなトンボ相など、昔の上高野には今よりももっと多くの生き物が棲んでいた。
 私どもはそこに失われつつある自然の面影を観るのである。
 小さな魚や昆虫類の世界だけではない。夏鳥・冬鳥・はもとより漂鳥・留鳥に於いてもその種類・飛来数ともに著しく減少しているのが実態なのである。
 私の記録してきた“野鳥賦"の中に「私邸の庭園に飛来する野鳥の種類」項がある、1974.3ルリビダキ♂、1974.4.13シメ(図1)とあるが、身近にこれらの珍しい野鳥が観察されたのである。
 これは渡りの途中に立ち寄ったのであろうか。しかし、それ以来それらの鳥を観察できた記録はない。
 また、「野鳥の囀り声と飛来する野鳥の種類」項では、1976.5と1995.5に三宅八幡宮の裏山でオオルリの囀りを聞いた記録がある。
 また1988.5.15三明院の西明寺山でカッコウ初認日とある。しかしその後の記録は全く無い。
 ウグイス・メジロ・シジュウガラ・エナガなどはどうにか毎年飛来しているが、以前に比べると飛来数にバラツキがあり、また固
体数が少なく飛来間隔も定かで無い。
 
 今年に限っていえばヤマガラとカワラヒワが少ないように思う。
 彼等の周囲に何んらかの変化が起っているのではないかと気にするのである。
 「近隣個体の距離と囀り声との関係」では、アオバズクは今夏は1羽しか飛来していない
 例年であると遠くに他の個体の鳴き声を聞くことができたが、神社の社叢林伐採の影響があるのだろうか。。また、フクロウの鳴き声も今年はまだ聞くことが出来ないが、昨秋、境内の樹洞のある杉大木を数本伐採したことが影響しているのではないだろうか。
 それに最近は車やバイクでの人の活動が早く、そのせいで夜明け後の狩ができなくなってきたのではないだろうか。
 例年にない変化が起こると何んとなく寂しい気がするのである。

☆里山の大切さ
 一方で、地域住民の里山への出入りの問題がある。最近は近郷の何処の山に登っても申し合わせた様に山自体が荒れている現象に心が痛む。
 倒木や立枯れが多く、間伐材もそのままである。これではキノコや松茸が採れる筈がなく、取り残された縄張り用のビニール紐が林間に絡みっいている風景は、自然のなかで違和感を感ずるのである。
 フィールドワークで学んだ一例であるが、私どもは、林の中の空間を移動しながら採餌する鳥類には、それなりの林内空間が必要であること。
また、森林型の冬鳥が、冬に山→平地に降りてくるとき里山(二次林)が飛び石の役目をもつ大切な存在であることなどを認識したのである。
 さらに、雑木林・低木林・藪・草地といった植生が人間の手によって伝統的に管理、守られていってこそ様々な生き物たちにとって望ましい生息環境となることを教えられた。

☆七草粥
 私たちの小学生の頃は、セリ・ナズナ−−・と正月過ぎ、冬枯れの野に出て春の七草を求めて歩いたことを思い出す。     七草や
                       似つかぬ草も打ち混じり  −夏山−

 恵みに満々た大地には、人びとが食材として使える野草が幾種類か自生していたものである。 それ以外にも田畑にはスズメノテッポウ・レンゲが咲き乱れ、道端にはスベリヒュ・オオバコ・ノゲシ・イヌノフグリ・カラスノエンドウなどが所狭しと大地にしっかりと根を下ろしていた
 畦には、カタバミ・イヌダテ・イヌガシラなどの野草が白や赤紫色、薄黄色の可愛らしい小さな花をつけて、路行く人に踏まれながらも・懸命に生きていた姿は清らかであった。
 こう云ったごくありふれた草花が色とりどりに咲く風景。それが自然の環境に適応した姿なのである。

☆高野川の石
 京の水石として、「加茂七石」が有名である。その中に『八瀬真黒』と呼ばれる名石があるが、これは地質時代の白亜紀末約9800万年前に砂岩や頁岩といった堆積岩に花崗岩が貫入して熱変成作用を与え、境界にホルンフェルスという熱変成岩を生じたもので、その一つがこの「真黒」とよばれる黒く堅い石なのである。
 産地の名称を冠して『八瀬真黒』と称している。また、熱変成を受けて珪岩化したものや他の岩石を取り込んだものなど高野川の河原には、そういった種々の岩石の転石が豊富に採集できるので、以前から野外学習には好適な場所として知られていた。
 しかし近年、この採集場所にこの辺では存在し得ない石が採集され問題になったことがあった。
 原因を探ると、上流で採石業者が不要になった採石をこの川に廃棄したらしいことが分った。 純粋な学習場所は、不注意な仕業のためその貴重な場所を失ってしまったのである。
 いま、京都市内では桂川の上流のみが僅かに採集場所として残っているだけなのである。


☆地域の自然               (写真A)
 生息環境の変化や気候変動と共に、生き物たちの生命をはぐくむ場所が年々縮小されていく現実を知るとき、私どもは「生き物たち」の望ましい生息環境を積極的に整備してあげることが必要であると考える。
 換言すれば、一むらの自然をいかす一ことが、回り
廻って人間の生活環境に良好な影響を与えることが幾つかの事例で証明されている。
 
さらに、様々な生き物たちが生息できるところ、それは取りも直さずその地域の環境の多様性と密接に関係していることも識るのである。
 私どもは次の世代のためにも、上高野の恵まれた自然環境と、そこに生きる物たちとの新たなる共存
を目指して努力していかなければならないと思う。








三宅橋付近から比叡山を望む風景の変遷
前頁(写真A)   大正末期
上左(写真)    昭和初期
上右(写真)    現在

(27頁の写真はアブラゼミの羽化)

  撮影日 1979年8月
   場  所 三宅八幡宮境内