歴史一考

「上高野と御蔭神社」

菅原良和

現在の御蔭神社は、上高野東山町に有り、東山三十六峰の二番目の御蔭山に祭られています。
祭神は、玉依媛、建角身命(玉依媛の父)の二柱で、上賀茂神社の祭神の別雷命のお母さん、お爺さんです。
「賀茂史略」にこう記されている。
天武天皇六年丙子(677)

山背ノ國ヲシテ賀茂神宮ヲ営シム
本朝月令、年中行事秘抄等二右官史記ヲ引テ載ス。

群書類従本ノ本調月令
二神武天皇六十年トス誤レリ。

此時二初テ神殿ヲ今ノ地二設立ス。

上社ハ元ハ御阿札所二祭リシヲ今ノ地二遷シ営ミ下ノ社ハ元御蔭山二祭リシヲ今度ヨリ直澄里二遷シ営ナリ。


(文政12年の山崩れ)鴨社古絵図展より
小野毛人の墓(677)から高野川を東側の地が御蔭の御阿礼の地(現在の御蔭神社より北東の方へ約200mの所)であった。
 承和11年(844)太政官符により、御祖社四至が制定され、この御阿礼の地が堺となりあらたにその北側が小野郷、西側が粟田郷となり上高野が社領となったようです。
 以前の社殿は宝暦8年(1758)8月22日の長雨による土砂崩れがあり、又、文政12年(1829)7月8日の大地震による山崩れでお社のほとんどが埋まってしまい、天保6年(1835)に本宮の式年遷宮に合わせて現在の場所に移されました。 

(宝暦8年の土砂崩)鴨社古絵図展より
御蔭祭は、明治維新で神社の制度が変わってからの名称で、古代は、御蔭山で行われる御生神事(神の御魂の再生)とよばれていました。

 京都三大祭の一つである、賀茂祭(葵祭)が5月15日に行われますが、賀茂祭は下鴨、上賀茂神社と宮中との関係において営まれる官祭であり、神社本来の祭は、5月12日に行われる、御蔭祭、みあれ祭(上賀茂神社)にある、この御蔭祭、みあれ祭で荒魂を本宮に迎えなければ、賀茂祭を行うことが出来ない、賀茂祭は雨等により中止になることがあ
るが、御蔭祭は雨でも規模は小さくなるが中止になることはない。

荒魂を迎える神事

 御蔭祭の神幸行粧は日本最古で神幸行粧の列も、馬、数頭と徒歩で、約350人もの華やかな神幸行粧が行われ、上高野から20〜30人の人が参列していたようです。
 行程も、桧峠を越え、お昼の午の刻に荒魂を迎え、赤山、鷺の森、八代、波爾神社にて
路地祭、河合神社、切芝(森の古代祭礼場)にて神事を行い・荒魂を本宮に迎え15日の
賀茂祭を行う。

 現在は、神幸行粧の人数も100人程で、上高野からの参列も、旗頭として1名の参列で、行粧も交通事情等で、大半がバスによる移動で、路地祭も波爾神社(赤の宮神社)のみで、神幸行粧を見る機会が少ないのが残念である、昔の様に参列者が多く、せめて三宅橋から神幸行粧が行われ、上高野の多くの人達にあの神秘的な神事、華やかな神幸行粧を見ていただけることを願っています。
    
御蔭神社から荒魂を本宮への神幸行粧