先人の足跡を訪ねる

「地蔵盆について」

佐竹清己

 地蔵盆は、京都の夏に終わりを告げる風物詩で、お地蔵さんに最も縁があり、ご利益を受ける事が出来ると信じられてきた。
 「地蔵デー」の24日とその前日、又は23日と22日の2日間、各町内や自治会ごとに、こぞって催されてきた。
 近年は役員の都合により、その日を、土、日曜日に開催する町内が多数になり、宗教性が希薄になった証左かも知れません。
 確かに「地蔵信仰は平安時代から長年に渡って、儀礼や行事が伝承された結果、地域住民の生活の中にすっかり溶け込み、民俗化して宗教性が薄まって、今や伝統的習俗である」と言われている。
 以前、地蔵盆は、地蔵祭とか地蔵会(え)と言っていましたが、8月9日から16日までのうら盆といつか結びついて地蔵盆と呼ぶようになったらしい。
 
 お地蔵さんは、正式には地蔵菩薩といい、2500年前インドでお釈迦さまが亡くなった後地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六道に迷う一切の衆生を救済するよう、お釈迦さまが依託された仏なのである。
だから、このみ仏は、我々人間と同じ姿をされ、我々庶民大衆のすぐそばに、どこにでもまつられて、身近な願いや悩みを訴える信仰の対象とされてきました。 地蔵とは、大地のあらゆるものを蔵しているように、お地蔵さんの力は大きく、悩み苦しみを持つすべてのものを、救って下さるという意味です。
 昔は現代とちがって夭折(ようせつ){若死に}が多く、乳幼児の死亡率も高くって、愛児を失った両親の嘆き悲しみは如何ばかりであったろう。
 西の河原地蔵和讃には、父恋し、母恋しと泣くみどり児が、一重積んでは父のため、二重積んでは母のためと、河原の砂を塔に積んでいるところに鬼が現れ、鉄棒で塔を崩してしまう。そこへ、慈悲深い地蔵尊がかけつけ、子供を救い庇(かば)われるという。
 お地蔵さんと子供の縁が深いといわれる所以である。
 近年土地事情でお地蔵さんを安置する場所がないということで、期間中だけ壬生寺から石仏や掛軸のお地蔵さんが出向されるケースも多い。
 私の育った三宅町には、以前から三宅八幡宮参道沿いの、今は取り壊されてなくなった、昔の水島氏宅跡に接して、今もお地蔵さんが安置されております。
 子供の頃の昭和30年代には、その前で盛んに地蔵盆の行事が行われていました。今に比べ子供の人数も多く、テレビも普及しておらず、車社会でもなく、自然も多く子供達の縦・横のつながりが強く、三宅八幡境内では野球をしたり、かんけり、じらいこっぺ、
つかまえ、栗とり、くぎさし、ビー玉遊び、胴馬、等の金のかからない体を使う遊びを、学校から帰ると近所の友達6〜7名ぐらいで遊んだものでした。
 地蔵盆もいつもの遊びのメンバー以外多数あつまり、8月23日と24日の2日間、町内あげて催し物に参加し、夏の終わりの最大の楽しみでもありました。
 おやつ、宝捜し、人形劇、のど自慢大会、西瓜割り、福引、紙芝居等、楽しみは多数ありその中での最大の楽しみは子供達が劇をすることでした。
 約1ヶ月間、宮越商店南の山本さん(女性の方)に教えてもらい、24日の夜に発表するもので、水島氏宅のへやを舞台に、町内の人多数が集まりそれはにぎやかに行われたものでした。
 時代や世相は年々変化するけれども、宗教宗派を超えて受け継がれてきた地蔵盆は、今後も年々歳々と催され、子供と大人の楽しい思い出となって、地域社会の調和に大きく役立つことに変わりはないと信ずるものです。